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7月『弱者の心理/Psychology of the weak』

自損事故を起こして、若いドライバーが泣いていた。
車体に目立った損傷はなく、本人も怪我をした様子はなかったから、
恐らく、事故そのものがショックだったのだろう。
既に警察も到着していたから、事後処理に問題はなさそうである。

ところで、生業としてではなく、移動手段として自動車を扱う人は、
どのような気持ちで日々運転をしているのだろうか。

私は運転をしないので、本当のところは分からないが、
恐らくは、当たり前の毎日を当たり前に過ごしたい思いは、私と変わらないように思う。

泣いていた理由の一つは、この先どうなるかが予想できない不安であろうが、
他に、予定していたことが出来なくなること、日課が大きく変化することも含まれると思われる。

人は日々の生活に刺激を求める一方で、変わらないことも求める生き物である。
移動手段として自動車を認識していたなら、安全に移動できることを当たり前に続けたいと考えるだろう。

しかしながら、人は失敗をする生き物である。
先ほど上げた不安の一つは、失敗から復帰するための見通しが立たないことが原因だろう。

現代は、効率を求める社会である。また、自己責任を重視する方向に動いている。
そこで重要なのは、失敗した後、どれだけ迅速に通常の生活に戻れるか、
その手段が確立されているか否かである。

病気や怪我であれば、健康を取り戻すことが復帰の目安となる。
しかし、以前と全く同じ状態に戻るかどうかの保障は無い。
元に戻れないと分かったら、絶望しかないだろうか。

伝統という言葉がある。
決まったやり方を貫くという姿勢であり、それ以外は失敗と見て間違いないだろう。
その一方で、柔軟な対応もまた、生きていく上で重要である。

そこで風土というものに注目する。
これは仕事の成否とは別に、そこで働く人によって創られた価値観である。

自分のやり方を頑なに守ることを良しとする人がいれば、
広く意見を取り入れて柔軟に対応することを良しとする人もいる。

風土というものは多数派に偏るから、
閉鎖的な社会の少数派は『失敗』に分類されることが多く、
『成功』への更生が求められることもある。

但しこれは、価値観の蹂躙ともいえる。
ここで言う『成功』は、数ある物の見方の一面に過ぎない。

社会を維持する上で重要なのは、
そこに暮らす一人ひとりが、持てる力を発揮することである。

そこで求められるのは、価値の創出である。

これは既存の価値観で個人を図るのではない。
個人の力に価値を見出すのである。

話を戻そう。

病気や怪我の後、元の状態に戻る保証は無いと言った。
元の状態に戻らなかったとして、では次にどうしたら良いのか。

そのときの状態に応じて、生活の質を高めるだけである。

身に起こったことで悩むのは人間だけであり、他の生き物は悩まない。
ただあるがままに生きるだけである。

人生に『失敗』は付き物である。
その失敗が誰に規定されたものなのかに気付き、
柔軟な発想をもって、伸びやかに暮らせる社会でありたいものである。








*  *  *  *  *









I caused an own loss accident, and a young driver cried.
Because the body did not have the conspicuous damage, and there was not the state that injured the person, probably the accident would be a shock.
Subsequent processing does not seem to have the problem anymore because the police arrived.

By the way, as occupation, what kind of feeling will the person treating a car as a means of transportation drive with every day?

Because I do not drive, I do not understand the truth, but probably want to spend every day when it is natural commonly, thinking thinks that I do not change with me.

Even if it is the uneasiness that cannot expect what happens to one of the reasons that cried after this, it is thought that a thing, the daily work that it was not able to plan elsewhere are big, and it is included to change.

A person is the creature which finds that I do not change while I demand stimulation in daily life.
I will want to continue that I can move safely commonly if I recognize a car as a means of transportation.

However, a person is a creature failing in.
For one of the uneasiness that achieved some time ago to return it from failure; will be caused by the fact that is not in sight.

In the present age, it is society for the efficiency. In addition, it works in the direction attaching great importance to a self-responsibility.
Therefore after having failed, I can come back to the normal life quickly how long, or there is important one whether the means is established.

If it is a disease and an injury, it becomes the aim of the return to regain health.
However, there is not the security whether or not I return to an identical state before.
Is there only despair if I understand that I cannot be restored?

There is the word tradition.
It is posture to carry through formulae and I watch it with failure other than it and will be reliable.
On the other hand, the flexible correspondence is important in living again.

Therefore I pay attention to what's called climate.
This is sense of values made by a person working there separately from the success or failure of the work.

If there is a person settling in protecting one's way rigidly, is wide, and take in an opinion, and settle in a thing corresponding to the flexibility; the person is, too.

Because what's called climate deviates to the majority, the unsociable social minority is often classified in "failure",
for"Success" rebirth may be demanded.

But this can be called the infringement of the sense of values.
"The success" here is only one side of the views that there is a number.

It is that each one living there shows power to be able to have that is important in maintaining society.

Therefore it is creation of the value to be demanded.

This does not plan an individual for existing sense of values.
I find value for personal power.

Let's correct a talk.

After a disease and an injury, I said that there was not the guarantee to return to an original state.
Then what should I do next saying that I did not return to an original state?

Depending on a state at that time, I only raise quality of life.

It is only a human being to be troubled by having happened in the body, and other creatures are not troubled.
I only only live as they were.

The life always comes together with "the failure".
I notice the failure being a thing prescribed to whom and want to be society to be slim, and to be able to live for with a flexible idea.
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敗北将軍

「私は運転をしないので、本当のところは分からないが」

あなたが運転をしないのは、俺がいつも迎えに行っているからだと思います(笑)。

何事も「自己責任」としてその人の失敗を擁護しない風潮になって久しいが、自己責任論というのは強調すれば強調するほど、「社会的責任」を疎かにして行く。社会的責任が疎かになった世界を無法地帯と言う。どうか失敗者を見捨てない「社会的責任」の充実した日本であって欲しいものだ。
by 敗北将軍 (2016-03-24 00:51) 

アストン=路端

おはようございます。
コメント&nice!ありがとうございます^^


>敗北将軍様

いつもありがとうございます^^
社会的責任の充実が実現すると
保身に走らなくて済むので
良い意味で助け合える
そんな社会になりそうですねb


>いつもの、挨拶

気が付けば、新年度まであと僅か。
開いた桜のつぼみに倣い
良いスタートとなりますように^^

それでは、また!
素敵な週になりますようにv

by アストン=路端 (2016-03-28 05:14) 

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