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12月『就労/Posture about the work』

「働くことにした」と言われたら「どこで?」と返すとすれば、
その人にとっての就労が、既存の組織に入ることを意味しているからだろう。

起業と言うのは、新しく事業を起こすことだが、
才能と資金と人脈を手に入れられる人は、どちらかと言えば少数であるから、
義務教育を終えた後、仕事を始めるとすれば、
多くの人は「職に就く」という選択をすることになる。

既存の組織に入るのだから、当然選別が行われる。

職員の採用は、経理の面から見れば、大きな買い物であり、
飛躍的な利益が望めるなら話は別だが、
多くの場合、採用できる人数には自ずと制限が生まれる。

人を雇うということは、非常にコストが掛かる。

採用した時点で給与が発生するし、
第一、すぐに仕事を覚えて、こなせる訳ではないから、
教育の機会を設ける必要がある。

景気が悪くなったとき「即戦力」が求められたのには、
そう言う理由がある。

新規採用を敬遠し、教育に掛ける時間を削減し、
組織形態を同じにしたまま、利益を追求していたのである。

人材育成を怠ったつけは、後継者問題として、すぐに浮上した。
しかしその頃には既に、企業は企業としての存続のみを優先し、
リストラを始めとして、職員を守ることを良しとしなくなっていた。

職員も職員で、企業の為という気持ちは薄れ、
自分の身を守る為に、転職を視野に入れて就労していた。

そもそも仕事とは、何のために行われるのか?

衣食住を人が生きる基礎だとすれば、
命を支えることが求められる筈である。

家を建てる、狩りをする、服を作るといったこと全て、
生きるために行われてきたことである。

親子を最小単位として集団で暮らしたのは、
その方が生き残る可能性が高かったためである。

狩りにしても稲作にしても、それまでに積み重ねられた技術や伝統があり、
それを守ることが、働くことであり、生きることであった。

現代に置き換えたとき、まず、働く場が各段に増えた。
貨幣を流通させ、直接獲物を獲らなくても、
売買によって食物、衣類、住居が手に入るようになった。

就労の意味合いに、生活を支えることに加え、
貨幣を多く集めることもが含まれるようになった。

更に進むと、貨幣の収集こそが就労の目的ともなってきた。
例えばフランチャイズチェーン店の経営である。

「雇われ店長」と言われるように、コンビニエンスストアの経営方針は、
いかに本社が利益を上げるかが至上命題であり、
現場で働くスタッフが路頭に迷おうとも知ったことではない。

店長と言うからには、何をどの程度、幾らで仕入れるかを決める立場にある筈だが、
雇われ店長にそのような権限は無い。

それにも関わらず、売り上げが伸びなければ、それは店長の責任と言うことになる。

救済措置として、本社から資金が貸し付けられるが、
それは借金を負わせるという意味である。

起業の経営理念に共感して働き口を求めて来た人に対して、
権限の代わりに借金を与えて搾取する姿勢に、
流通と利便性の向上を掲げる面の裏にある、本来の思想が透けて見える。

彼らにとっての従業員は、単なる搾取の対象である。
働けば働くほど生活が苦しくなるのなら、それは本末転倒である。

経済収入を得ることが、生きるための条件となったとき、就労に恵まれない人が出てきた。
彼らの生活を支えるのは、社会のセーフティーネットワークである。

その一つに生活保護がある。
国が決めた基準に合わせて、最低限の生活が保障されると言うものである。

私の疑問は、何をもって最低限の生活なのか、ということである。

古い事例だが、生活保護の受給者が、パチンコに行ったことを理由に
支給打ち切りの憂き目を見ることになり、問題になった。
娯楽にお金を掛けることが最低限の生活に含まれるか否かが問われたのである。

その一方で、不正受給の問題がある。

生活が保護されるとは、生物的に生きるための条件が国によって守られると解釈でき、
消費税の問題はあるものの、納税を伴う就労は必要とされない。

生活水準について再考の余地はあるものの、就労の意思と力が無ければ、
国が税金で支える仕組みであり、税金は国民が支払っている。

誰もが生きる権利をもち、既存の労働環境には適応が難しい、
そう言う人を周りの人が支える。

その姿勢や思想は悪くはないが、その生活に甘んじる人からは、
就労の機会を奪い去ってしまうことになる。

例として、高齢者の再犯率の高さが挙げられる。
彼らは釈放されたとき、十分に暮らせる場所が無い。

刑務所の中であれば、刑務作業があり、温かい食事があり、安心して眠ることができる。
つまりは、生きがいをもって安全に過ごすことができるのだ。

生活保護受給者の場合、ここに自己の責任による暮らしが加わるが、
就労しなくても暮らしが立ち行く状況であることに変わりない。

暮らしが立ち行くのであれば、就労は必要ないという思想は、こうした状況下で強化される。

就労を、既存の組織に属することとして語ってきたが、
その考え方に立つ以上、不就労の否定は難しい。

授産施設を始めとした下請けの業界では、就労しても暮らしが苦しいし、
所得の下限は下がる一方である。
非正規雇用の増大に伴う、正規雇用者の負担増という話もある。
就労することで暮らしが立ち行かなくなるのであれば、本末転倒である。

既存の組織に属するという視点を外し、
「働く」メリットを考えるとどうだろうか。

労力と引き換えに糧を得るのが労働である。暮らしを立ち行かせる手立てである。

「はたらく」と言う言葉は「傍(はた=周りの人)を楽にする」から来ている
という話があるから、我が国では、奉仕という意味合いが強かったのかもしれない。

滅私奉公という言葉を紐解けば、その心が分かろうと言うものである。

しかしながら「私(個人)を滅して、公に奉る」という思想は美しいかも知れないが、
現代の就労状況を見ていると、その精神には追いつけそうもない。

滅私奉公とは、その人なりやり方なりに付いて行けば間違いないという
絶対の信頼があってこそ成立するものであって、現代に置き換えれば、
「御社の経営理念に共感して」と言ったところである。

つまり、実現したい理想があって、そのために就労するという姿勢なのである。

理想をもって生きている人は、いつまでも若々しいが、
そもそも、日々の暮らしで精一杯の人が、そんな心をもつことができるだろうか。

就労アレルギーとでも呼ぶべき不就労の姿勢は、
理想を追い求める精神の欠落によるものだと考えられる。

某有名企業が結託して、企業家を育てる学校を設立したのは、
何年前の話だっただろうか。

アントレプレナー教育(企業家教育)が重視する姿勢は、以下の5点である。

1. 積極的に夢や理想を語り合い、その実現に向けての自己の在り方を考える。
2. 自己の発想や工夫を、積極的に社会への貢献や理想とする社会の実現に生かそうとする意欲を育てる。
3. 自己について発見し、更なる自己開発を進める。
4. 社会を意識する活動を通して、学校と社会の橋渡しを行う。
5. 発明や工夫する力を高め、自己のもつ理想を実現する喜びを実感する。

「出る杭は打たれる」と解釈されそうな滅私奉公だが、
こうした視点を加えると、意味が変わって来る。

滅私とはつまり「見識の狭い未熟な己を抑え」、奉公、
即ち「目指す理想の社会に向けて、就労先で学ぶ」という姿勢だと考えることができる。

現代における就労の難しさは、ここにあるのではないだろうか。

年功序列という制度にも問題はあったが、
能力主義や成果主義になって明らかになったのは、高い理想があったとしても、
結果を出さなければ一切評価されないという問題である。

結果を評価することに価値が無いとは言っていない。

起業風土に於ける価値観の中で、
結果に結びつかない人材に対する評価が辛辣だと言うことである。

明らかに会社に寄生しているような職員はどうかと思うが、
価値観に合わないから冷遇するというのはどうなのだろう。

成果主義の側面の一つである、余裕の無さは、こうした姿勢にも見受けられる。

本人の責任によるところもあるだろうが
「あなたは要らない」と言われた人の自尊心はどうなるだろうか。

余裕がないから切り捨てるというのは、方法としては正しいし、
学習能力の無い人の為に時間を割くのは無駄ともいえる。

しかしながら、平均値という概念に示されるように、
この世に生きる人の半数を優秀とすれば、もう半数はそうでないということになる。

他人の欠点を指摘して優越感に浸るとすれば、只の自己満足である。
相手の為を思っての行動であれば、優越感に浸る必要など無い。

ノブレス・オブリージュという言葉は、
力のあるものは義務を負うという意味であり、起業家にはこの姿勢が求められる。

現代の就労に於ける病理は、誰もが生きる権利をもつことに対して、
受け皿が十分でないところに原因がある。

労働の意味を問い直すとすれば、
価値観や能力の違いがあって当たり前であるという認識に立ち、
その上での共存を実現できるかどうか、自分のとる方法を見直すことである。








*  *  *  *  *









If is said, "decided to work"; "where?" If it returns , this will be because the working for the person means that I enter the existing organization.
It is to launch business newly to say a company, but many people will do choice "to take a job" if they begin work after having finished compulsory education because, if anything, the people who can obtain talent and a fund and acquaintances are few.
Because I enter the existing organization, naturally sorting is carried out. It is big shopping, and the story is different, but, as for the adoption of the staff, judging from an aspect of the accounting, a limit is born in the number of people that I can adopt naturally in many cases if I can expect rapid profit.

It costs very much to employ a person.
A salary occurs when I adopted it, and, the first, it is necessary to arrange the opportunity of the education immediately because I learn work and cannot handle it.
There is such a reason why "adaptable fighting potential" was demanded when economy worsened.

I pursued profit with giving new hiring a wide berth, and reducing time on education, and making an organization form the same.

The tab which neglected personnel training surfaced as the issue of successor immediately.

However, the company already gave priority to only the continuation as the company at that time and did not settle in protecting the staff including restructuring.
I classified a change of job into the field of vision and set to work that the staff was the staff, and the feeling for a company faded, and to protect one's body.

In the first place what is it performed for to work?
If it is the basics that a person lives in food, clothing and shelter, it should be demanded that I support life.
It is that it has been performed to live all to make hunting clothes building a house.
The reason why I spent parent and child as the smallest unit in a group is that the one was more likely to survive.
There were a technique and a tradition piled up by then even if I did it for rice growing even if I made hunting and was that it worked to protect it and was to live.

When I rearranged it in the present age, at first work place increased in each step.
Even if they distributed money and did not catch direct game, food, clothing, a house came to be available by buying and selling.
It came to be included in implication of the working in addition to supporting life to collect a lot money.
Furthermore, collection of money became the purpose of the working when I advanced.
For example, it is the management of the franchise chain store.
"Is employed; is a supremacy proposition, and is not concerned with the management policies of the convenience store to be said to be a manager" how the head office gives profit so that the staff working on the site hesitates about the roadside.
I should be in a position to decide how much lays in stock of what how much since I say a manager, but I am employed, and there is not such an authority for a manager.
Nevertheless it will be called the responsibility of the manager if sales do not increase.
As a bailout, a fund is loaned by the head office, but it means that I charge it with a debt.
The original thought in the back of the aspect to raise the circulation and improvement of the convenience in the posture to give the person who I sympathize with the management philosophy of the company, and demanded a place of employment a debt in substitution for authority, and to exploit is transparent.
The employee for them is an object of the simple exploitation. If life gets hard so as to work if I work, it is illogical.

When it became the condition to live to get an economic income, an underprivileged person came out to working.
It is social safety net work to support their life.
One has welfare.
To the standard that a country decided, I say that minimum life is guaranteed.
My question is with what whether it is minimum life.
It was an old example, but I would suffer the supply break by the reason of having gone for a pachinko, and a recipient of the welfare became the problem.
It was called into question whether it was included in minimum life to spend money on entertainment.
On the other hand, there is a problem of the unjust receipt.
I can understand that a condition to live biologically is followed by a country that life is protected, and, as for the problem of the consumption tax, the working with the tax payment is not required although there is it.
Although there is it, a country is a tax, and it is structure to support, and the nation pays the tax to the room for reconsideration about the standard of living if there are not intention and power of the working.
Anyone has a right to life, and the person of the circumference supports such a person having difficult adaptation for existing labor circumstances.
The posture and thought are not bad, but I take an opportunity of the working away from the person who contents itself with the life and will leave.
Examples include the high recidivism rate of the elderly person.
When it was released, they do not have a place to be able to live in enough. If there is it in a prison, there is prison industry, and there is a warm meal and can sleep in peace. In other words I can spend it with a definite aim safely. In the case of a welfare recipient, a living by the responsibility of the self increases here, but I change in being the situation to manage a living even if I do not set to work, and there is not it.
The thought that the working is not necessary for is strengthened under such situation if it manages a living.

I talked about working as belonging to the existing organization, but, as for the negation of the non-working, it is difficult since I take the thought.
A living is painful, and the lower limit of the income continues falling down even if I set to work in the industry of the subcontract which I did including providing work facilities.
There is the story called the burden on regular employer increase with the increase of the irregular employment, too. It is illogical if it does not manage a living by setting to work.

I exclude a viewpoint to be vested in the existing organization, and how about when I think about a merit "to act?" It is labor to get bread in exchange for labor.
It is means to let a living manage it.
Because there was a story to come because the word to tell "to work" is meaning of working relax the person of the circumference, in our country, implication called the service might be strong.
I say if I read the word self-denying service to understand the heart.
However, the thought "that I destroy me (individual) and present publicly" may be beautiful, but does not seem to be able to catch up with the mind when I watch the modern working situation.
If it is established if there is absolute trust to be reliable if I follow the person or a way and rearranges it in the present age, the self-denying service is the place that said, "I sympathize with the management philosophy of your company".
In other words there is the ideal that wants to come true and therefore is posture to set to work.
A person living with an ideal is youthful forever, but in the first place may the person that it is all one could do have such a heart by a daily living?
It is thought that the posture of the non-working that you should call even a working allergy is a thing by the omissions of the mind in pursuit of an ideal.

Would it be a story how many years ago a certain prominent firm conspired, and to have established the school which brought up an industrialist?
The posture that entrepreneur education (industrialist education) attaches great importance to is following five points.
1. I talk about a dream and an ideal positively and think about the way of the self for the realization.
2. I bring up the will that is going to make use of an idea and a device of the self in contribution to the society and social realization to idealize positively.
3. I discover it about self and push forward further self-development.
4. Through activity being aware of society, I mediate between a school and the society.
5. I raise invention and power to devise and realize joy to realize the ideal that the self has.

It is the self-denying service that seems to be interpreted, but a meaning changes "Envy is the companion of honor" when I add such a viewpoint. In other words "I suppress oneself inexperienced narrow of the judgment" with the self-denying and can think that it is service namely posture "learning in working ahead for ideal society to aim" at.

Here may be the difficulty of the working in the present age.
There was the problem with a system of the seniority, but is the problem that is not evaluated at all if I do not start a result even if there was a high ideal as for what it becomes a meritocracy and the principle of result, and became clear. I do not say that it does not have value to evaluate a result.
In sense of values in the company climate, it is to say that the evaluation for the talented person who is not tied to a result is biting.
I do not think the staff who is parasitic on the company is a good idea, but how will about that I treat you coldly because it does not match sense of values obviously.
As for the lack of the room that is lateral one of the principle of result, it is supposed in such a posture.
What will happen to the pride of a person said to, "you are not necessary" even if there is the time according to the responsibility of the person?
Because I have no it to spare, what I cut off is right for a method, and, as for cutting time for a person without the teachability, it may be said with waste.
However, the half is already not to be so if I assume half of people living in the world excellence to be shown in the concept of the mean.
If I point out a fault of another person and indulge in sense of superiority, it is mere self-satisfaction. If it is an action that I think of a partner, there is not need to indulge in sense of superiority.
The word "noblesse oblige" is a meaning that the thing with the power assumes an obligation, and this posture is demanded from an entrepreneur.
The pathology in the modern working is due to the place where saucers are not enough for anyone having a right to life.
It is to review the method that oneself takes in sense of values and recognition to be different, and to be natural of the ability if I question a meaning of the labor whether I stand, and you can realize the coexistence at the top.







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